突然ですが、読者のみなさまは

女子プロレスはお好きでしょうか?

私は、小学生の頃からプロレスを見てきましたが、

女子プロレスにはあまり興味を持てずにいました。

それは、あくまで個人的な考えですが

男が唯一女性に勝る部分であろう

「力」「強さ」

逆に言うと、

女性が男性に唯一適わない部分でもあり、

わざわざ苦手な事を仕事にしなくても…

という偏見が、長年存在していたからでした。

そんな偏見を覆してくれたのが、

今回ご紹介させて頂く

ブル中野選手でした。

ブル中野選手の経歴を、

私が興味を持ったきっかけとともに、

振り返らせて頂きたいと思います。

まえがき・ブル中野選手に興味を持ったきっかけ

私がブル中野選手に興味を持ったきっかけは、

小学生の頃お小遣いで買った

週刊プロレスの選手名鑑でした。

確か1998年位?のものだったかと思うのですが

そこに写っていた中野選手の写真が・・・

美人だったのです(笑)

女子プロレスに疎かった当時の自分でも、

さすがにブル中野選手は知っていましたが

その名鑑では中野選手は既にセミリタイア、

50kg近い大減量を行っており

巨漢でモヒカンの悪役レスラーの

「女帝」イメージとは程遠い姿に・・・

別の人の写真じゃないのか?

と疑ってしまったほどでした。

こちらが現在のブル中野さんの姿です

調べてみるとやはり同一人物であることが分かり、

「こんな人が悪役レスラーをやっていたなんて、なにか面白いエピソードがあるに違いない!」

と子供ながらに思ったのが、

興味を持ったきっかけでした。

女帝・デビューまで

ブル中野選手

(本名:青木恵子・あおき けいこ、旧姓・中野)は、

1968年1月8日生まれ、埼玉県川口市出身。

プロレス好きのお母さんの影響でプロレスファンになり、

中学1年生のときに

全日本女子プロレスのオーディションを受け合格。

入門を目指す練習生となります。

当時、夢見ていた姿は

歌って踊れるアイドルレスラー。

1983年に2度のプロテストに不合格の後、

三度目のテストで正式入門。

同年9月に本名の中野恵子としてデビューを果たします。

新人時代から、

秋の1983年度新人トーナメント優勝。

当時のメインイベンターだった長与千種選手の

付き人担当となったり、

1984年には全日本ジュニア王座を獲得するなど

同期の中では出世頭となりました。

そんな中、

以前から中野選手に注目していた

後の師匠であるダンプ松本選手より

ヒールユニット・極悪同盟への勧誘が行われます。

ヒール転向・トップレスラーへ

中野選手の目標は前述の通り

歌って踊れるアイドルレスラー。

当初は絶対に嫌だと何度も固辞したそうですが、

当時の先輩の言う事は絶対服従で逆らえなかったため

中野選手が折れる形で正式に極悪同盟に加入します。

リングネームもダンプ松本選手にあやかり

ブル中野に改名。

極悪同盟入門当初は

ヒールに徹しきれずにいましたが、

それを見抜いたダンプ選手が

「今日からモヒカンになって自分の正パートナーになれ」

と迫り、左側の髪を半分剃り落され、

ホテルの部屋で一人号泣。

「半モヒカン」がきっかけとなり、

当時内緒で交際していた男性とも破局。

中野選手はこれらの出来事をふまえ、

「もう女性として生きるのはやめよう、私の生きる時間はプロレスの世界だけでいい」

「そう思えた時に、はじめて自分はプロレスラーになれたんだと思う」

と述懐します。

それ以降、ステロイドを使用しての体重増量。

副作用としてすね毛が生える、

生理が止まる、

さらに寿命が縮むとまで宣告されながらも

とにかく体重100キロ、

プロレスラーとして、

ヒールレスラーとして

「この世のものじゃない何か」

になりたかったそうです。

その後は皆様ご承知かと思いますが

ライオネス飛鳥、長与千種選手のベビーフェイスユニット

クラッシュギャルズとの抗争で人気を集め

一躍トップスターに踊り出ます。

その後1988年にダンプ選手が引退。

看板チームのクラッシュギャルズも引退し観客が激減します。

そこで今後は自身をリーダーとした「獄門党」を結成。

中野選手が望んだ

「ベビーフェイス・ヒール関係なく試合そのもので魅せていくプロレス」

を自らの手で実現していき、

全日本女子プロレスの新たな黄金期を到来させました。

そのスタイルの最たる試合が1990年に行われた

アジャコングとの金網デスマッチ。

自らの死をも覚悟しての

金網からのギロチンドロップは、

目の肥えた男子プロレスファンをも唸らせました。

※心臓の弱い人は閲覧注意です。まじでハラハラする・・・

その後もヒールでありながら

女子プロレス界の最高位に君臨。

1993年にはWWF(現WWE)に遠征し、

WWE世界女子王座に輝くなど

1997年の引退まで大活躍を続けました。

あとがき・覆った私の偏見

「もう私の生きる時間はプロレスだけでいい」

その言葉を聞いたとき、

かつての私の偏見が

いかに愚かなものだったのかを思いしらされました。

プロレスが好きで、

そこに文字通り命をかけて取り組む人たちがいて。

そこに男子も女子も存在していなかった。

それほどの覚悟が、行動が

ちゃんと世間に伝わっていたからこそ

中野選手は大成功を収めたのだと思います。

自分が好きではない、

興味のないものだったとしても

それは決して「悪いもの」ではなくて

ちゃんと知っていくと、そこに魅力を見出すことは出来る。

好きなものしか見ない、聞かない、興味を持たない。

それでは世界は広がっていかない。

私はブル中野選手のプロレスから、

その生き様から

人として大切なものを

学ばせて貰いました。

最後まで読んで頂きありがとうございました。

感想などコメントを頂けると嬉しいです!

The following two tabs change content below.
マウナケアあつし

マウナケアあつし

ロックとプロレスをこよなく愛する三十路プヲタ 幼少期はいじめられっこだった僕は、ある日父親にプロレス会場に連れていってもらったおかげでプロレスFANになり、強い男になることを決意。いじめっこを「ノド輪落とし」で撃退し、無事にいじめからの脱出に成功できた。プロレス観戦歴20年を超える私のかなり「歪んだ」プロレス観を書いています。詳しいプロフィールはこちら→プロフィール