DDTプロレスの歴史① 『透明人間』を使ったギミックとは?

今回は
私がどうしても語りたいギミック(仕掛け・策略)について
語らせていただければと思います。

その仕掛けとは
『透明人間』
です。

真剣にプロレスを見られている人ほど、

はぁ?

と思われるかもしれませんが、
DDTプロレスで生まれ、

そして急に現れる『透明人間』。

知れば知るほど実は奥が深い事が分かります。

観にに行った試合で
突然見るとなんだかよく分かりませんが、
それまでの経緯を見ればなんとなく分かる。

このギミックに挑戦した
DDTプロレスリングのチャレンジ精神。

そして団体総出で真剣に取り組んだ結果が、
新日本1強だったプロレス界に一石を投じ、

今や新日本プロレスにも勝るに劣らず人気団体に
成長させた秘訣だと思っています。

これまでの透明人間

まず、
プロレスというものは
対角線上に相手がいて
闘うことで成り立つスポーツです。

しかし、
飯伏幸太やケニー・オメガなどを輩出した
インディー団体の雄、

DDTプロレスリングでは
リング上でレスラー一人、
という状況を作り、

『レスラー対透明人間』

という試合を成り立たせています。

前提として
DDTプロレスリングには
チャンピオンベルトがいくつもあり、

その中には
『アイアンマンヘビーメタル級』という
誰もがチャンピオンになれる王座(※)と、

『エクストリーム級』という
互いにルールを決めることが出来る王座があります。

※過去にはプロレスに携わる人々(裏方、レフェリーなど)、
SKE48などのアイドル、脚立、リングトラック、バットなど物、
そして愛媛県知事…

本当に何でも誰でも王者になれます。

『透明人間』は主に
この2つのベルトに挑戦、

ないし王座になることが多い選手です。

まずはこちらを見てください。

これは現在DDTに所属している
男色ディーノ選手の学生プロレス時代のものです。

この時、
ディーノ選手が戦った
『透明人間ミステロン』が、

DDTプロレスリングの
透明人間ギミックの基になります。

動画を見て分かると思いますが、
心の綺麗なプロレス好きの人なら
目の前で繰り広げられる攻防が分かるかもしれない。

逆に、心が綺麗で
何の先入観も持たない人が見たら、
『?』と思われることでしょう。

また、DDTプロレスリングに参戦する
透明人間(以降、アーノルド・スケスケジャネーカー選手)は
海外選手という設定ですが、

情報社会となった今でも
経歴などは謎に包まれており、

プロレス解説者の鈴木健.txtさんでさえ
情報が掴めていない、

まさに未知の強豪という、
完全に透明人間という設定を崩さないスタイル。

唯一明かされている情報が、
アメリカ出身ということと
『世界スケルトン級』のチャンピオンということです。

2008年7月に
アーノルド・スケスケジャネーカー選手が、
突如日本プロレス界に侵攻。

その勢力を知らないDDTマットの選手達は恐々、
来日直後、いきなりアイアンマンヘビーメタル級の王座を奪取し、
そのまま海外へ帰国してしまいます。

そして9月の後楽園大会では、
男色ディーノ選手との防衛をかけた
タイトルマッチがおこなわれます。

未知の強豪と言われど、
透明人間ミストロンと熱戦を繰り広げ、

透明人間の事であれば
右に出るものがいない男色ディーノ選手であればと、
DDTサイドも踏んだのでしょう。

万全の態勢でタイトルマッチが行われますが、
母国で不貞を行った結果、

妻がリング内に乱入、
刃物を持ち出し、スケスケジャネーカー選手を刺すという、
恐ろしい結果でノーコンテストになりました。

この仕掛けは、
当時某団体のレスラーが、
交際中の女性に刃物で刺された事件をネタにしたものになります。

こういった時事ネタも含めてくるのが、
DDTプロレスリングの強みです。

その後、そのスキャンダルのせいなのか、
アーノルド・スケスケジャネーカー選手は
日本マット界から姿を消します。

その後、
DDTプロレスリングで『透明人間』は姿を消しますが、

2012年8月のDDT武道館大会で突如、
『透明人間』選手のギミックが復活し、
決着戦が行われます。

『透明人間ミステロン』でも
『アーノルド・スケスケジャネーカー』でもなく、

『透明人間』選手です。

対戦カードにも
『男色ディーノ対透明人間』
と出されます。

試合は『透明電流爆破マッチ』と
これまた過去にありそうでなかったようなルールでしたが、
これがなんとセミファイナルで行われました。

ちなみに今回は
DDT初の武道館大会

史上最大のビッグマッチです。

何故、この試合順になったのか。
意味は後で分かります。

演出、見せ方、DDT=透明人間というギミック

試合は終始白熱し
観客も息をのむ展開。

終盤になると、
まさかのエトピリカ

(情熱大陸で終盤に流れる、葉加瀬太郎氏の音楽)

場内が暗転し、
ディーノ選手のモノローグが始まります。

そして今度は『透明人間』のモノローグ。

それによれば、
透明人間選手は15年前、

DDTプロレスリングの旗揚げ時から
実は団体にいて、

常にリングを見守っていたとのこと。

2002年
新日本への提供試合にもこっそり参加し、
その規模に圧倒されたとも。

DDTプロレスリングの歴史が続き、
その後のメインの煽りVTRへの展開に繋がります。

VTRが終わり、
試合は最終的に電流爆破後に透明人間が
ディーノ選手をフォール。

3カウント。

壮絶な試合が終わり、
ディーノ選手との共鳴。

ふらふらと歩くディーノ選手へ肩を貸し、
花道を戻っていくと、マイクを持ち、

『DDTを旗揚げして15年、いろいろあったよ。でもそんなこと、これから始まる歴史に比べたらどうってことねえよ!メインではDDTの未来を見せてやる』と。

その後のメインは
飯伏幸太選手対ケニー・オメガ選手。

プロレス界の未来を暗示するような、
新世代の名勝負数え歌です。

これまでDDTでは色々あったけど、
このビッグマッチで終わりではなく、

ここから新しいスタートだという団体の
振り返りの意味も持った1試合だったのでした。

普通の団体では
煽りのVTRで歴史を流し、

試合に繋げるというのが通例です。

しかし普通じゃ面白くない、
なら最高にかっこよくて面白いやり方を見せるのがDDT、だと。

そのためにも必要だったのが、
透明人間だったのです。

DDTの社長である
高木三四郎選手はこの日
鈴木みのる選手とシングルを行っており、

また別の展開を視野に宣言していました。

だからこそ、
同じ場で同じアピールはできない。

それでも歴史を語る上に
必要だったのが姿の見えない『透明人間』だったのです。

透明人間は姿に見えませんが、
DDTプロレスリングの歴史を体現したものだったのです。

DDTと透明人間ギミックの関係性のまとめ

DDTという団体は
これまでにもなんでもありな展開で、
ファンを楽しませてきました。

しかし、
インディー団体というレッテルもあり、
興行を行うにも

後楽園ホールが
ビッグマッチとして使われることが
多かったのです。

しかし、
2009年8月に両国国技館へ進出すると、

満員札止めの観客動員を記録し、
夏のビッグマッチ興行として両国大会が定着。

2012年
インディー団体ではこれまで成しえなかった
日本武道館大会を行います。

DDTが
『インディー』団体としての殻を破り、

人気を盛り返してきていた
『新日本プロレス』に追いつけ追い越せと言わんばかりに、
人気を定着していきました。

その後、皆様もご存じのように
『飯伏幸太』『ケニー・オメガ』はDDTで生まれながらも
『新日本プロレス』のリングに主戦場を移します。

結果、DDTという
どインディー団体で生まれた選手が、
日本で1番のメジャー団体でスターになったのです。

インディーメジャーを食った、
という表現が合うと思います。

プロレス界の未来を担う2人のスターのシングルマッチを、
DDTのインディー団体としての集大成である
日本武道館大会メインで行うことに対し、

大会総出で未来を見据えた
マッチメークで盛り上げる、

そのために必要だった
『透明人間』
というギミックだったのだと私は思っています。

言葉で伝えるのは非常に難しいので、
もし気になっていただければ
DVDかDDTのオンデマンドサービスでご視聴くださいね。

※2000年代のDDT後楽園大会は毎回DVDで販売されていますが、アーノルド・スケスケジャネーカー選手参戦の2008年後楽園大会は諸事情により販売されていません。

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緋空

はじめまして、プロレス全般を愛する緋空と申します。アラサーのパパで小学生の頃からプロレス観戦をはじめました。それからはプロレスにガッチリとハマって、プロレスのテレビ解説や、高校の文化祭でプロレス団体を呼びリングアナをさせていただいたり、インディー団体のリング設営を手伝ったり。あらゆることをやってきましたー。みなさまにプロレスの楽しさを伝えたく筆を執りました。詳しいプロフィール