【プロレスの歴史】新日本プロレス対UWFインターナショナルが語る!本当の団体対抗戦

プロレスファンであれば
必ず耳にしたことがあるだろう、

新日本プロレス

UWFインターナショナルの

全面対抗戦。

チケットはプラチナ化し、
当時のドーム興行としては最多の動員数

(6万7千人と発表)を記録し、

ドーム外にも人が溢れかえったほどと
言われています。

長州選手の
『キレちゃいないよ』発言の発端、

武藤対高田の伝説の一戦など
プロレス界の後世に繋がる
名勝負・名シーンが幾多にも生まれました。

今回はその伝説となった
新日本プロレスと
UWFインターナショナルの対抗戦について、

紐解いていきたいと思います。

犬猿の仲の両団体はどうして交わったのか?

UWFインターナショナル
(以下、Uインター)の前身、
『U.W.F』時代より遺恨のあった新日本プロレス。

Uインターとなり、
今回の事の発端は、
1992年10月の事でした。

NWA王座を持った蝶野正洋選手が、
高田延彦の名前を挙げたことにより
Uインターサイドが反応。

アポを取らず、
Uインター宮戸優光選手、安生洋二選手、鈴木健氏が
顧問のルー・テーズ氏を伴い訪問します。

実現をさせたいという
趣旨のものではありましたが、

いわゆる『殴り込み』を
不服と思った新日本サイドは、
Uインターに対し

『挑戦のリスク料、3000万円払え』
と難題を押し付けます。

その結果、
交渉は破談になりますが、

その内容をUインターサイドが
マスコミに公表。

関係は今まで以上に悪化し、
完全に“絶縁”状態になりました。

その後1995年、
Uインターサイドが、

当時フリー参戦をしていた山崎一夫選手の
新日本プロレス参戦に対し
『待った』をかけます。

山崎選手は前年7月に
Uインターを退団。

マッチメーカーだった
宮戸選手との確執が噂されており、

かねてから山崎選手を評価していた
長州選手が一本釣りをして、

新日本参戦につながった、
と噂されていました。

Uインターサイドは
鈴木健両取締役、

新日本サイドは現場監督だった
長州選手が互いを非難していましたが、

実はこの時から両サイドでは
水面下で対抗戦の話が浮上していたのです。

新日本サイドは
4月28・29日に北朝鮮で開催された

『国際平和のための平壌スポーツ国際文化祭典』
による負債二億円。

Uインターサイドは
各団体のエースに招待状を送ったことで
話題を呼んだ『1億円トーナメント』の失敗。

そして安生選手の
グレイシー道場破り失敗などで
内部崩壊によって、

両団体とも状況は最悪でした。

その中で、
長州選手と高田選手の
電話会談が行われました。

会談後、
長州選手はフロントに対し

「ドームを押さえてくれ!」
と指示します。

そして10月9日

東京ドームで
新日本プロレス対UWFインターによる
全面対抗戦が急転直下で実現することになり、

長州選手はマスコミの前で
「全部、個人戦(シングル)だぞ。向こうの選手、全部出す。ウチも出すから、相手がどうのこうので試合が出来る、出来ないは言わせないぞ。Uは東京ドームで消す」
と断言したのです。

前哨戦、そして全面対抗戦へ

9月23日

新日本プロレス横浜アリーナ大会で、
対抗戦の前哨戦が行われます。

カードは

『長州力 & X(永田裕志) 対 安生洋二 & 中野龍雄』
というもの。

試合の入場時まで、
Xは明かされませんでしたが、

入場してきたのは
本日2試合目となる永田選手。

試合は長州選手が、
普段はあまり見せないアマレスの
ムーブを見せて安生選手を圧倒しますが、

中野選手の
腕ひしぎ十字固めで
永田選手がギブアップ。

安生選手の膝蹴り、
永田選手のパンチで
両選手の顔が大きく腫れ上がったことが、

今回の対抗戦の
凄惨さを表していました。

そして運命の全面対抗戦。

この日は
平日月曜日にも関わらず、
超満員札止め。

会場の外に
両団体のファンが溢れかえるなど
異様なほどの盛り上がりで、

中に入れないお客さんが殺到し、
最終的には開放していなかった
外野席さえも開放をし、

バックスクリーン以外
全ての席が埋まり、
当時の観客動員記録を塗り替えました。

入場ができなかったお客さんは、
会場の外で試合後に漏れる
勝者の入場テーマ曲(音漏れ)で勝敗を知り
一喜一憂していましたが、

全試合後、
興奮冷めやらぬ両団体のファンが、
会場の外で喧嘩を起こすという騒動も起こるほど、

ピリピリしたものでした。

また今のように
煽りVTRや入場時の派手な演出も、
それが却ってショーではなく、

本当の対抗戦を思わせるような
雰囲気を醸しあげたと言われています。

試合の勝敗につきましては
以下となります。

新日本プロレス:UWF

【第1試合】
○石沢常光、永田裕志(三角絞め)金原弘光、桜庭和志●

【第2試合】
○大谷晋二郎(羽根折り腕固め)山本健一●

【第3試合】
●飯塚高史(腕ひしぎ逆十字固め)高山善廣○

【第4試合】
●獣神サンダー・ライガー(猛虎原爆固め)佐野直喜○

【第5試合】
○長州力(サソリ固め)安生洋二●

【第6試合】
●佐々木健介(膝十字固め)垣原賢人○

【セミファイナル】
○橋本真也(三角絞め)中野龍雄●

【メインイベント】
○武藤敬司(足4の字固め)高田延彦●

2つの団体の明と暗

当時のUインターは
『高田延彦』という、

もはや『ブランド』が
独り歩きをしているような団体でした。

その最高級ブランドが、
外様のブランドに負けたことで、

『UWFインターが新日本プロレスに負けた』
ということが顕著に刻まれ、

UWFを完全に『潰した』と言えたでしょう。

長州選手が会見時に語った
『Uを東京ドームで消す』が、
言葉通りになった瞬間です。

この対抗戦により得た収益で
前述した2億円の負債を完済し、

新日本プロレスの人気は
右肩上がりになり、

1年に数回ドーム興行を行ったり、
nWoの大ブレイクなど遅れてきたバブル状態になります。

かたやUインターは
坂道を転げ落ちるかのように転落。

『高田が負けた』
という事実が重く、
非常に強いダメージを生み、

ファン離れが大きく加速、
単独での興行は開催できなくなり、
そのまま崩壊していきました。

まとめ

今のプロレス界でも
『団体対抗戦』が行われることはありますが、

それはあくまで『飾り』のようなもの。

たった1つの試合の結果により
団体の運命を決定つけた対抗戦は、
後にも先にもこの時だけです。

もちろん試合だけではなく、
そこに行くまでのストーリー、経緯、台所事情など
加味するところは多く、

それを全てひっくるめて
『じゃあ対抗戦をやろう』という
GOサインが出た時点で、

ファンの熱をどこまで上げられるか、
観客の思想も含め完璧なストーリーが出来上がることで

『団体を潰し合う対抗戦』
が生まれるのだと思っています。

この『新日本対Uインター』は
選手間だけではなく、

ファンの熱がより興行を後押しして
盛り上げたとも言えます。

プロレス界で
『〇〇選手が特別参戦!』
というのは良く見ますが、

スポットや友情参戦のような
『貸し借り』のようなものが多く、
本当の潰し合いという参戦はあまり見られていません。

無論、潰し合うことが
いいわけではありませんが、

各団体のファンが
『うちの団体が1番強い!』と
互いのイデオロギーを衝突しあう展開も、

今後また見てみたいものですね。

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緋空

はじめまして、プロレス全般を愛する緋空と申します。アラサーのパパで小学生の頃からプロレス観戦をはじめました。それからはプロレスにガッチリとハマって、プロレスのテレビ解説や、高校の文化祭でプロレス団体を呼びリングアナをさせていただいたり、インディー団体のリング設営を手伝ったり。あらゆることをやってきましたー。みなさまにプロレスの楽しさを伝えたく筆を執りました。詳しいプロフィール