日本一熱いプロレスラー・大谷晋二郎から学ぶ 「イジメ」との向き合い方

画像引用元:Wikipedia

熱い性格や戦いぶりから

  • 「炎の戦士」
  • 「日本一熱いプロレスラー」

と称される人気プロレスラー
大谷晋二郎選手。

2009年に、
人気バラエティ番組アメトークの企画

「俺たちのゴールデンプロレス」内で、
自身が代表を務める所属団体ZERO1にて

小学校などで行われる
いじめ撲滅を提唱した

「チャリティープロレス」興行が
紹介されるなどもあり、

ご存じの方も
多いのではないでしょうか。

現在は講演会での
活動も行っており、

そこで本人が
お話されていた

デビューまでのエピソードが
とても素晴らしいと感じたので、

大谷選手の経歴とともに
ご紹介させて頂きます。

少年・大谷晋二郎 プロデビューまで

大谷選手は、
小学校2年生のときに

当時ゴールデンタイムで放送されていた
新日本プロレスのTV中継で

アントニオ猪木選手を見て、
プロレスラーになる道を志します。

それから将来は
プロレスラーになるという事だけを考えて、
生活をしたそうです。

その情熱はすさまじく、
新日本プロレスが地元・山口県に来たときには
選手が滞在するホテルを突き止め、

フロントの警備員に
捕まりながらも

猪木選手を呼び止め
自前の闘魂グッズにサインを貰い、

本人の前で
プロレスラーになることを
宣言しました。

 

このエピソードだけでも、
当時から「熱い男」であったことが
うかがえるでしょう。

管理人管理人

すげーな大谷…
普通の少年なら、こんなことしないよな…

すげー

そんな大谷少年ですが、
中学時代に重度の喘息を発症。

激しい運動はおろか、
走ることすら禁止されてしまいます。

それでもプロレスラーを目指す道を諦めず、
中学校を半年休学し、治療に専念。

その時、今の自分の状況すら、
後にプロレスラーになった時の
エピソードとして語れるなと思っていたそうです。

管理人管理人

ガチですげーわ…
大谷選手

無事運動ができるようになり、
高校ではレスリング部に入部。

中学生時代
殆ど運動が出来なかったこともあり、

当初は全く同年代の子達に
適わない日々だったそうですが、

「同じ土俵で戦えるようになった喜びのほうが大きかった」
と語り、

最終的には
国体・インターハイともに
ベスト16の実績を残します。

卒業後は両親の猛反対を押し切り上京し
アニマル浜口ジムに入門。

アルバイトをしながら
トレーニングをした後に

1992年2月に
新日本プロレスの入門テストに合格し、

5か月後に念願の
デビューを果たしました。

またこの当時の新日本プロレスの人気は高く、
入門テストは非常に厳しいもので、

応募者は約150人。

書類審査で
100人近くがふるい落とされた後に、

体力テスト、面接が行われ
合格者が5人。

入門後も、
「今の時代ではとても言えないような厳しさ」
の練習が始まります。

当時のコーチはあの

  • 長州力選手
  • 馳浩選手
  • 佐々木健介選手

このメンツを聞くだけでも、
いかに厳しい練習であるかが、

プロレスファンであれば
容易に想像できるでしょう。

練習についていけなくなると、
今の時代では言えないような

  • 「お仕置き」
  • 「イジメ」

というような
レベルではない経験も

数多くされてきたのでは
ないかと思います。

そんな思いをして
デビューした大谷選手は、

トップ選手になった後、
後輩に決して無理を言うような人間には
なりませんでした。

これは大谷選手が
教育係を務めた

後輩の真壁刀義選手なども
述懐しており、

この頃より新日本プロレスの中で
イジメや理不尽なシゴキを
無くそうとしていたのではないでしょうか。

新日本離脱、チャリティプロレスへの取り組み

その後
2001年に新日本を離脱し、

  • 橋本真也選手
  • 高岩竜一選手

と共に
ZERO-ONEを旗揚げし、

  • 2004年にZERO-ONEが崩壊
  • 2005年に橋本選手が亡くなった後、

ZERO-ONE MAXを発足

代表となります。

(2009年団体名をプロレスリングZERO1に改称)

そこで現在も行われているのが
「いじめ撲滅」というスローガンを掲げての
チャリティプロレスや講演会。

大谷選手が
自身でできる事の限界や無力さを感じながらも、

人が人を殴ったり蹴ったりするのが、
どれだけ痛いものなのか

何回倒されても、
何度でも立ち上がる姿勢

そういったことが、
見てくれた子供たちの
頭の片隅に残ってほしい。

そんな思いで続けておられるそうです。

今、辛い思いをしている
その子自身の状況を変える事は
出来ないかもしれない。

でも、その子が辛い状況に
負けないと思えるような、
勇気を持つきっかけになってほしい。

自身を「無力」と語りながらも、
今なお活動を続けているのは、

そういった理由なのではないかと、
私は感じました。

大谷選手の活動が
少しでも広く届けばいいなと思い、
この記事を書かせて頂きました。

最後まで読んで頂き、
ありがとうございました。

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マウナケアあつし

ロックとプロレスをこよなく愛する三十路プヲタ 幼少期はいじめられっこだった僕は、ある日父親にプロレス会場に連れていってもらったおかげでプロレスFANになり、強い男になることを決意。いじめっこを「ノド輪落とし」で撃退し、無事にいじめからの脱出に成功できた。プロレス観戦歴20年を超える私のかなり「歪んだ」プロレス観を書いています。詳しいプロフィールはこちら→プロフィール