博多スターレーンや蔵前国技館【名会場にプロレスの歴史あり!】閉館してしまった名会場

日本全国に
散らばるプロレス団体。

メジャー団体から
地方の団体まで

規模も様々です。

試合会場も
ドーム級があれば、

小さな町のホールなど
無数にあります。

ビッグマッチの定番は
必ずここ。

意外なあの場所が
名勝負を生んだというところも。

メジャーであれ
インディーであれ、

その会場で生まれるものは
人それぞれ色んな思い出があるかと思います。

今回は残念ながら
取り壊しや無くなってしまった会場について
語っていきたいと思います。

西の聖地、博多スターレーン

九州に住まれている
プロレスファンなら

一度はいった事があるはず!

関東・関西勢であれば
ちょっと距離があるので

行ったことはないけれど
名前はもちろん知っている
という方も多いはず。

90年代の新日本

全日本も
ツアー最終戦に組んだり、

インディー団体の
ビッグマッチによく使われたりしました。

個人的な印象は、

  • 『DDT』
  • 『KAIENTAI-DOJO』
  • 『大日本プロレス』

の3団体が同日、

朝・昼・夜で興行を行う
『天下三分の計』で
毎年使用されていた印象が大きいです。

博多スターレーンの
有名な話では、

天井が低く、
トップロープからの飛び技を見ていて、
ヒヤヒヤするんですよね。

また多くの会場が
有刺鉄線や蛍光灯などを
NGとする中、

デスマッチに対しても
非常に寛容で

ある種なんでもありな
会場というところも、
名会場たる由縁ですね。

北といえばここ、札幌中島体育センター

オールドな方であれば
『藤原襲撃事件』
の記憶が印象深いでしょうか?

また、
『長州力選手のアントニオ猪木初ピンフォール』
もこちらの会場でしたね。

建物の老朽化により、
北海きたえーる(北海道総合体育センター)が
入れ替わるように新しくでき、

近年では
北海道での試合は
こちらがメインで使用されています。

有名な新日本プロレスの
『冬の札幌・猪木問答』
はこっちですね。

収容人数の
キャパも多くて

5,000~6,000入るので、
メジャー団体においても
北海道シリーズにはちょうどいい会場でした。

インディー団体などにとっては、
こちらよりも札幌テイセンホール
(キャパ1,200ほど)

が使われた印象があります。
(こちらは2015年に無くなりました)

昭和~平成にかけての
新日本プロレスにおいては、

1年を通して
何度かこの中島体育センターでの
興行が組まれ、

普段プロレスを観に行けない
道民に対してはお馴染みの会場でした。

日本プロレスの歴史・蔵前国技館

日本のプロレスの
歴史において、

絶対に欠かせない会場といえば
この蔵前国技館でしょう。

  • 力道山に始まり
  • ジャイアント馬場選手
  • アントニオ猪木選手

など
数々の名勝負が生まれた会場です。

最も有名なシーンといえば
『猪木舌出し失神事件』でしょう。

アントニオ猪木選手対ハルク・ホーガン選手の
初代IWGPヘビーリーグ戦での
優勝決定戦の一幕です。

そんな蔵前国技館は
1984年に閉館。

その後は
両国国技館として
馴染みがありますね。

私も蔵前国技館の事は
あまり知らなく、

両国の方が
圧倒的に記憶濃いです。

かつては
最大のビッグマッチ興行として
使用された国技館ですが、

現在はもはやプロレス団体のステータス。

インディー団体では
DDT、大日本プロレスが

年間のビッグマッチ興行として
使用するようになり、

負けじと各インディー団体も
ビッグマッチ興行として進出し始めています。

様々な歴史の中でも、
一番この会場と縁があるのが
天龍源一郎選手。

元々力士だった天龍選手が
初土俵を踏んだのが蔵前国技館。

そしてプロレスの世界へ行き
早40年ほど、

引退興行を
両国国技館で行いました。

ボロボロの肉体だったにも関わらず、

当時IWGPヘビーのチャンピオン
オカダ選手との引退試合は、

見ていて
感動した試合でした。

オカダ選手も手を緩めず、
本気で天龍選手に肉体をぶつけていき、

レインメーカーで
決着をつける。

最高の手向けだったと思います。

一般の方からすると
相撲の印象も根強い国技館、

これからは相撲だけでなく
プロレスの聖地としても認知度を上げていき、

様々なドラマを生んでいってほしいですね。

消えゆく聖地・横浜文化体育館

プロレスラーも、
そしてプロレスファンにとっても、

衝撃的だった
『横浜文化体育館閉鎖』というニュース。

新日本であれば
G1などで主に使用され、

なんといっても
大日本プロレスの定番会場として
使用されていました。

旗揚げの会場でもあり、
数々のデスマッチ名勝負を産んできた横
浜文体ですが、

会場側からの強い意向もあり、
プロレスラストマッチも
大日本プロレスが務めました。

団体の垣根を超え、
この会場にゆかりのある

『藤波辰爾選手・鈴木みのる選手の参戦』
などもあり、

非常に色濃い
ラスト興行になりました。

大日本プロレス生え抜きの
伊東竜二選手もTwitterで、

  • 初めてベルトを獲得した会場。
  • 初めてベルトを獲られた会場。
  • 初めて救急車に乗った会場。
  • 1番タイトルマッチをやった会場。

と、
思い出をつづっていますが、

それだけ大日本プロレス
デスマッチを見続けたファンにおいては

切っては切れない会場だったのだと思います。

私も大日本プロレスが
とても好きなので、

横浜文体の無い大日本は
あまり想像が出来ませんし、

逆にこれからの名勝負は
どこで生まれるのかという
期待も出てきています。

ちなみに、
横浜文体は最寄り駅が
『関内駅』なので、

タイミングによっては
横浜スタジアムに向かう
野球ファンと鉢合わせになり

駅周辺がごった返すことも
しばしばありました。

名会場まとめ

今回は4会場、
お話しさせていただきました。

近年プロレスファンに
なられた方としたら、

横浜文体を除いて
あまり馴染みのない
会場ばかりだったかと思いますが、

オールドな
プロレスファンに
とっては

どこも聖地かと思います。

しかし全国には
まだお話しできていない、
閉館してしまった名会場があります。

世間的には知られていなかったり、

定番化しておらず
1度ぐらいしか来ていない会場であっても、

見た人にとって
色濃く残る記憶があれば、
そこが思い出の会場だったりします。

ただ無くなったという事で終わらず、

会場名を言ったら、
『あそこはこんな試合あったよね』
など思い出話に花が咲くような、

そんなことになればいいですね。

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緋空

はじめまして、プロレス全般を愛する緋空と申します。アラサーのパパで小学生の頃からプロレス観戦をはじめました。それからはプロレスにガッチリとハマって、プロレスのテレビ解説や、高校の文化祭でプロレス団体を呼びリングアナをさせていただいたり、インディー団体のリング設営を手伝ったり。あらゆることをやってきましたー。みなさまにプロレスの楽しさを伝えたく筆を執りました。詳しいプロフィール