【鈴木みのるというプロレスラー】パンクラス時代からの軌跡

画像引用元:Wikipedia

『世界一性格の悪い男』
であり、

『プロレス界の王』
と呼ばれる

鈴木みのる選手。

2018年には
デビュー30周年を迎えた
大ベテランであり、

現在の新日本の中でも
唯一、歴史を身体で感じている選手です。

カール・ゴッチに
大いに期待され、

デビューして間もなく
アントニオ猪木にも認められ、

実力は折り紙付き。

また一つのマットを
戦場にすることなく
多くの団体へ参戦し、

各団体の
色に合わせられる

ユーティリティプレーヤーとして、

現在もベルト戦線に
君臨し続けていますね。

フリーだからこそ
フットワークの軽さが
良いみのる選手。

相手が
どんなものでも
どんなところでも

必要とされれば
出向くスタイルは
中々真似できないものです。

今回は
鈴木みのる選手がいかに

色んな団体
に参戦をしているか、

時間軸と共に
今一度、確認してみようと思います。

鈴木みのるの参戦した団体

新日本プロレス(所属)

1988年の6月に、
飯塚孝之(飯塚高史)選手との
シングルでデビューします。

翌年3月、
当時、若手や中堅選手などと

第1試合を行っていた
アントニオ猪木と対戦。

試合後に
『あいつを本物にしてやる』
と言わしめる感想を引き出し、

健闘をたたえられました。

その後再戦はなく、
UWFへ移籍してしまいます。

パンクラス(所属)

1993年に
船木誠勝と共に
旗揚げ参加。

  • ケン・シャムロック
  • バス・ルッテン
  • モーリス・スミス

などの
強敵と戦いますが、

1996年に首を負傷し、

以降、復帰・欠場が続き、
試合も連敗が続くようになります。

格闘技に自信を喪失。

引退も考えた
2002年に

獣神サンダー・ライガー選手との
運命のシングルマッチを行い、

プロレス復帰の
後押しになったと言われています。

外敵として新日本プロレス、ノア、そして王道・全日本プロレスへ

かつて所属していた
新日本プロレスから離れ
14年後、

2003年に
『パンクラスMISSION』の
鈴木みのるとして、

スポット参戦をします。

2004年には
IWGPヘビー級にも挑戦。

その一方で
プロレスリングNOAHにも
参戦し

GHCヘビー級王座
GHCタッグ王座に挑戦をします。

2006年3月、
全日本チャンピオン・カーニバルに
参戦し、

主に全日本プロレスへ
継続参戦することに。

この間にも、
プロレス復帰をした

先輩・船木誠勝との
シングル戦を行い、

チャンピオン・カーニバル決勝で
初勝利をするという展開が
待っていました。

その後2010年には
三冠チャンピオンにもなりますが、

2011年6月をもって
主戦場を再び新日本プロレスへ
戻すことになります。

鈴木軍のはじまり

新日本プロレスに参戦後、

  • TAKAみちのく選手
  • タイチ選手

と共に
『鈴木軍』を結成します。

以降、
シングル・タッグ戦線に

『鈴木軍』として
様々な状況下で強さを見せつけます。

2014年G1での
A.Jスタイルズとの一戦は、

アメリカの
レスリング・オブ・ザーバー紙年間最優秀試合賞にも
選出されるほどの名試合でした。

2015年からは
一時的に新日本プロレスから離れ、

プロレスリングNOAHへ
継続参戦を始めます。

約2年と短い期間でしたが、

  • GHCヘビー級王座
  • グローバルリーグ戦優勝

タイトルを獲りつつも

また鈴木軍として
NOAHリングをかき回し、

その存在を強くアピールしました。

その後は再び
新日本プロレスに戻り、
今に至ります。

他インディー団体への参戦

DDT(2012~)

DDTとしては
2012年

初めての
日本武道館大会での

高木三四郎選手との
スペシャルウェポンマッチにて初参戦。

そして5年後、
東京ドームを全面使った
路上プロレスにて再参戦します。

高木三四郎選手曰く、

DDTの雰囲気に
『鈴木みのる』を崩さず対応していること、

そのポテンシャルが高いと語っています。

そしてマッスルでは、
『世界フィギュアレスリング選手権』や

メカマミーとのシングルなど、

普段のみのる選手との
ギャップが出る試合を
続々とやり遂げ、

みのる選手の振れ幅の広さを
存分に発揮していますね。

大日本プロレス(2020)

2024年に新しく

横浜ユナイテッドアリーナ・横浜武道館が
設立されることになり、

横浜文化体育館が
2020年9月に解体されることになりました。

そこでのプロレス最終興行を
行うことになった『大日本プロレス』に、
サプライズ参戦します。

みのる選手にとって
横浜文体は

  • プロレスデビュー戦
  • 新日本プロレス退団前最後の試合
  • パンクラス時代の数々
  • プロレス復帰のきっかけとなった獣神サンダー・ライガーとの一戦

と、
大いにゆかりがありました。

そこで団体を超え、
若武者・野村卓矢と対戦。

ローキック・エルボーで
攻め立てられても、

技を全て受け切り、
圧倒的な強さで勝利をします。

今のところ、
継続参戦などの話はありませんが、

今回は横浜文体の
プロレスラスト興行という
名目があるだけでの参戦かもしれませんが、

鈴木軍として
デスマッチ戦線にも手を出したら
また面白そうですね。

ハッスル(2006)

ハッスルでは
坂田亘選手や大谷晋二郎選手、

レイザーラモンRGさんとの
絡みが多かったですが、

正直、あまりここの印象はないですね。

みのる選手を
うまく活かせなかったと思っています。

チョコプロ(2020)

2020年3月、

コロナ禍の情勢に合わせて
常に無観客、

youtube配信を主とした
さくらえみ選手発案の団体です。

その旗揚げ戦に
参戦。

通常のリングはなく
あくまでマットの上での試合ですが、

何にでも柔軟に対応できる
みのる選手。

試合はともかく、
それ以外の行動もすべて
Youtubeに配信され、

負傷をしている選手に対し
テーピングの巻き方など

基礎を教える場面も
配信され、

みのる選手の
度量の大きさが伝わった参戦でした。

琉球プロレス(2015・2017)

2013年に旗揚げした
沖縄県のローカルプロレス団体です。

2015年8月

夏のビッグイベントで
特別参戦選手として参戦し、

その後、
2017年にも参戦をしています。

まとめ

これだけ見てみると、
みのる選手のフットワークの軽さ、
プロレスへの貪欲さなどが
よく分かりますね。

特に個人的には、
新日本プロレスに参戦していた際の

『強い鈴木みのる』を
毎試合見ていた中でのマッスル参戦で、

『世界フィギュアレスリング選手権』
をやり遂げるところを見て、

この人はすごい!
と感じました。

懐の広さ、
人間としてのキャパが広いなぁと。

また試合会場での
ファンサービスも実は良いと評判です。

ネットでは
『鈴木みのるが世界一性格の悪い男なら、世界は完全平和』
と揶揄されますが、

本当にその通りだと思います。

色々と人間的に
できているなぁと感じるエピソードもありますが、

入場曲を歌う
中村あゆみさんが語るように、

本当は純粋な人だということかもしれませんね。

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緋空

はじめまして、プロレス全般を愛する緋空と申します。アラサーのパパで小学生の頃からプロレス観戦をはじめました。それからはプロレスにガッチリとハマって、プロレスのテレビ解説や、高校の文化祭でプロレス団体を呼びリングアナをさせていただいたり、インディー団体のリング設営を手伝ったり。あらゆることをやってきましたー。みなさまにプロレスの楽しさを伝えたく筆を執りました。詳しいプロフィール