【プロレス第三世代】時代に翻弄された…不遇のプロレスラー

『第3世代』

と呼ばれる男達を
知っていますか?

プロレスを
好きな方であれば、

必ずしも
聞いたことのある
言葉ですね。

かつて
新日本プロレスで

1990年初頭に
デビューし、

対UWFを通り、
2000年代にブレイクを迎えるも、

時代の総合格闘技路線に
巻き込まれ

プロレスの暗黒期が
全盛期となってしまった不遇の世代です。

かと言って
すべてが悪いわけではないのですが、

ファンからの支持が高く
人気の選手が多いため、

たらればが通るのであれば
『こうしてあげたい』
というのは絶対ついて回るのが彼ら

『第3世代』です。

今回はそんな
第3世代について

お話しさせていただきます。

そもそも第3世代とは?

主に
1990年~1992年にデビューした
新日本の選手を指します。

現役の選手であれば、

  • 天山広吉選手
  • 小島聡選手
  • 永田裕志選手
  • ケンドーカ・シン選手
  • 大谷晋二郎選手
  • 高岩竜一選手

ですが、
後者の3人は
新日本から離れているため

あまり今回は該当せず、
現在も新日本に所属している

前者の3人の事を指します。

第3世代の栄光と失墜

この中で
一番早く躍動したのは
天山選手。

凱旋帰国後には
新日本を揺るがす
キープレーヤーとなり、

蝶野選手と
90年代後半の
新日本をかき回しました。

引退はしてしまいましたが
中西学選手は

99年にG1を
優勝するなど、

シングルプレーヤーとして
実績を積んでいきます。

小島選手は
天山選手とのコンビで

一躍タッグ戦線にて
ムーブメントを起こしました。

永田選手は少し遅れて、
2001年のG1で初優勝。

その後ミスターIWGPとして
当時の王座連続防衛記録を保持していました。

そんな時、
2000年に突如発売された

ミスター高橋(新日本の元レフェリー)
の暴露本によって

『プロレスラーって本当は強くないんじゃないか?』
という疑心が出て、

全体に陰りが見えてきました。

そして当時の
新日本トップであった

橋本選手と武藤選手が
他団体に移籍をしてしまい

全体的な
世代交代が行われぬまま、

第3世代と呼ばれた彼らが
新日本のトップへ

『繰り上げ』となり
トップになります。

そんな彼らに
追い打ちとなったのが

世間の『総合格闘技ブーム』

特に永田選手と中西選手は
アントニオ猪木と新日本の
当時の戦略に巻き込まれ、

このスパイラルに
巻き込まれてしまいました。

総合格闘技への対応に向けて
準備期間もなく挑んだ一戦は、

『ターミネーター』
の愛称で呼ばれていた

ミルコ・クロコップとの一戦。

結果、永田選手は
何もできず秒殺負け

という汚名で、
最高の年を台無しにしてしまいます。

2003年には同様に
総合格闘技ルールで

エメリヤーエンコ・ヒョードル
との試合を行いますが、

こちらも1分20秒と、

あまりに悲しい結果に。

プロレスで
頂点を掴んだ永田選手は、

総合格闘技という世界で
どん底を味わうことになりました。

対し、中西選手は

  • ゲーリー・グッドリッジ選手
  • TOA選手

との試合に挑むなど、

プロレスと総合・K-1での
試合をしますがどちらも敗北。

(グッドリッジ選手にはリベンジを果たしています)

そして、
プロレスの人気は低迷してしまい

第3世代は
その中心にいたことから

暗黒時代の象徴とされてしまいます。

他団体で輝き、所属団体で復活

第3世代の話に戻すと、

小島選手は2002年から
全日本プロレスに移籍をし、

三沢選手ら大量離脱があった
全日本の中心人物として

新生・全日本の顔となり
活躍しました。

天山選手は
総合格闘技には挑戦をせず、

プロレスのリングで

  • G1優勝
  • IWGP戴冠

などを経て
文字通りトップへと昇っていきます。

2006年には小島選手が
全日本所属ながらも、

G1に参戦し
決勝で天山選手と
優勝を争い勝利するなど、

第3世代が新日本の
メイン戦線を引っ張っていったのです。

2007年には永田選手が
久しぶりのIWGP戴冠。

2009年には
周りからの支持もあり

中西選手のIWGP挑戦で
王座戴冠。

故山本小鉄氏の
号泣シーンも話題になりました。

やがて2008年頃から
棚橋選手・中邑選手ら

新世代が本格的に
新日本を引っ張り、

第3世代は
トップ戦線から

少しずつ離れ始めました。

しかし2011年、

永田選手が全日本の
『チャンピオン・カーニバル』
に参戦し優勝。

2013年にノアの
『グローバル・リーグ戦』
に参戦し、これも優勝。

誰もなしえない
メジャー3団体の
リーグ制覇を成し遂げます。

2016年には
天山・小島タッグがノアの

『グローバル・タッグリーグ戦』
に参戦するなど

他団体での実績が目立つように。

新日本外で
『新日本所属選手の勢い』を
まだまだ存分に発揮する力に、

他団体の選手・若手に対し
大きな壁となったことが

第3世代のブランドを
大きくした要因にもなるでしょう。

第3世代まとめ

ここ数年の新日本では

  • 中西選手
  • 飯塚選手
  • ライガー選手

と90年代を経験した
トップ選手の引退が続いており、

現在の新日本の中でも
一番上のベテランが

彼ら第3世代となってしまいました。

しかし、
ロートルと呼ばれるにはまだ早い。

個人的には
永田選手のコンディションは
試合を見る限り、

まだまだいけると思う。

IWGPにはちょっと厳しいが…

NEVERであれば
まだ挑戦の余地は残されているのではないだろうかと。

小島選手も、
まだまだ体力の限界は来てなく
活躍できるのではないだろうか。

天山選手は怪我もあり、
シングルプレーヤーとしては厳しそう。

だからこそ、
タッグ戦線が固定化されている
今の新日本に、

あえてテンコジとして
また復活するべきだと思います。

暗黒時代を過ごし、
『戦犯』とも揶揄された男達が

今やレジェンドともいわれる世代にもなった今、

また1度でいいから、
ドームで輝く姿を見てみたいと思います。

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緋空

はじめまして、プロレス全般を愛する緋空と申します。アラサーのパパで小学生の頃からプロレス観戦をはじめました。それからはプロレスにガッチリとハマって、プロレスのテレビ解説や、高校の文化祭でプロレス団体を呼びリングアナをさせていただいたり、インディー団体のリング設営を手伝ったり。あらゆることをやってきましたー。みなさまにプロレスの楽しさを伝えたく筆を執りました。詳しいプロフィール