【ジャンボはガチ】史上最強レスラー、ジャンボ鶴田【なんで?】

みなさん
こんにちは!

プロレスライクな生活
送っていますか?

今更ながら、
ウィスキーの飲み方を初めて知りました。

緋空です。

『プロレスラーがガチで戦ったら誰が一番強いのか?』

ぶっちゃけ不毛な問いではありますが、

実際話し出すと
1番盛り上がるトークネタですね。

その中で必ずと言っていいほど上がってくる選手がいます。

そのレスラーは、
ジャンボ鶴田選手です。

80~90年代全日本の中心で

ジャパンプロレスとして乗り込んできた
長州選手との激闘は、未だに語り継がれています。

果たして
なぜここまでジャンボ鶴田選手が
持ち上げられるのでしょうか。

今回はそんなジャンボ鶴田選手について語りたいと思います。

ジャンボ鶴田の凄いところ

他のレスラーと違い、身体能力が際立って高い

戦ったレスラー

(長州力選手、ブローザー・ブロディ選手など)

ほとんどから
身体能力を絶賛されるほどの
能力を持っていたといわれています。

また1972年の
ミュンヘンオリンピックにて

レスリンググレコローマンスタイル最重量級日本代表でもあります。

ジャンボ鶴田選手はプロレス脳もよく、

得意技のバックドロップを打つ際、
相手の技量によってその高さ・スピードを
コントロールして投げていたと言われています。

というのも、
相手選手を『殺す』わけではなく、

あくまで『倒す』という
優しい気持ちの面を持っていたことが、

『本気で戦ったら相手を殺してしまう』

という感情を
私達に持たせているからでしょうね。

大技にこだわらず基礎を徹底的に追及した強さ

当時の外人レスラー

たとえばスティーブ・ウィリアムス選手が
投げっぱなしジャーマンなど

当時、危険な技が目立ち、
その破壊力に目を奪われがちでしたが、

バックドロップやジャンピングニーなど、

魅せ方も当てる箇所も的確で
その破壊力が半端ないといわれています。

一般的なプロレス技で
仲野信市や天龍を失神させたこともあります。

そのため、ファンの間では

「普段の試合では力の差がありすぎて本当の力を出さない」

「怒った時の鶴田は誰よりも強い」

とも。

80年代では

スタン・ハンセン選手やブルーザー・ブロディ選手、

ロード・ウォリアーズなど、

90年代では三沢選手、川田選手などのレジェンド級と
激闘を繰り広げ勝利を挙げていた印象が、

やっぱり鶴田選手は強いと繋がるんでしょうね。

圧倒的な壁役

三沢選手、川田選手といった後輩達に
そびえる巨大な壁として、

立ちはだかったジャンボ選手。

190cmを超える高身長で
ただでさえ大きいのに、

一度、川田選手がジャンボ鶴田選手をキレさせたことがあります。

川田選手お得意のステップキック

(相手の頭を掴んで蹴り上げる)

を執拗に食らい、カチンときたのでしょう。

直後に鶴田選手の目の色が変わり、
大迫力のエルボーで川田選手をノックアウトさせたのですが、

それだけでは鶴田選手の怒りは収まらず。

無理矢理引き起こしてからキック、

場外でのボディスラム

ステンレス部分でのイス攻撃などで

文字通り叩き潰したのです。

タッグパートナーの渕正信選手が
その場を止めに入るものの、

渕選手を突き飛ばすなど会場も騒然としました。

この事件も相まって

『怒らせたらヤバイ』

『キレた鶴田を止められる人間はいない』

と言われることになったのです。

ジャンボ鶴田最強説について

1992年、

現役としてまだまだ活躍できる時期で
B型肝炎を発症。

そこからの長期入院。

復帰後も第1線として
戦うことは出来ませんでした。

そして1999年に引退発表。

翌年、肝臓の移植手術中に大量出血で亡くなりました。

異種格闘技戦・UWFとの抗争などで
強さを証明していった新日本プロレスとは真逆を行く、

身体一つで王道プロレスを象徴していった鶴田選手。

長州選手とフルタイムドローの試合後、

全然息を切らさず会場を後にしたという逸話も
鶴田選手の凄さを体現しています。

病気というアクシデントで
第1線を退いたものの、

最強のままリングを後にした鶴田選手。

たらればですが、もし存命していたらと考えると…

今のプロレス界、大きく変わっていたことは間違いないでしょう。

最後までお読みいただきありがとうございました。

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緋空

はじめまして、プロレス全般を愛する緋空と申します。アラサーのパパで小学生の頃からプロレス観戦をはじめました。それからはプロレスにガッチリとハマって、プロレスのテレビ解説や、高校の文化祭でプロレス団体を呼びリングアナをさせていただいたり、インディー団体のリング設営を手伝ったり。あらゆることをやってきましたー。みなさまにプロレスの楽しさを伝えたく筆を執りました。詳しいプロフィール